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2010年8月

2010年8月31日 (火)

おっきに~

世界で一番標高の高い街(4150m)、ボリビア・エルアルトで出会ったビルマさん一家。

ビルマさんはボリビアの民族衣装のポリエラを作る仕事をしています。

僕はお世話になったお礼に、ビルマさんが仕事で使う日本製のミシンを借りて、ビルマさんの娘のアナとエベリンに巾着袋を作りました。

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唐草模様です。東京ぼん太です。日本から換えの衣類を包んでいた風呂敷です。何年か前に今は亡き池袋の生地屋さん「キンカ堂」で購入したものです。

そして、長男ヘベルにはジーパンをリメイクしてバッグを作りました。

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ソーイングが趣味で履けなくなった、いや、履かなくなったジーパンで1~2度作ったことがあったもので・・・・

エルアルトの市場で足りないものを調達して作りました。

帰国後、お世話になったコーディネーターすずきともこ女史(隣国ペルー在住)よりメール。

別件でボリビアに行き、現地コーディネーターのネメさんと再会、ビルマさん一家の近況を聞いたそうで・・・・

ヘベルは僕のバッグを大事に愛用している、と。

嬉しかったですね~

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ヘベル!オラも↑愛用してるぜ!

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2010年8月29日 (日)

戦隊モノ!?

我ら 極北オーロラ戦隊 アオダケジャー

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(写真 右より)

ノルウェー在住30年、高い税金取られても余生は安泰

村上コーデネート・ブルー

世界一番紀行は俺に任せろ、カットが好きなわけじゃない

安原デレクティング・ブルー

体重は100kg超級、カメラの腕は無差別級、敵は妥協の二文字

米谷ズームイン・ブルー

音声だけじゃなく電気の事ならなんでもおまかせ、歩く電気保安協会

内田ウッチー・ブルー

2ndカメラ&ドライバー、痩せの大食い、胃下垂必死の何でもマン

斉藤(本名)泉・ブルー

実はこれ、以前紹介した(5/29)スノーモービルでロシア人だけの町バレンツブルクを訪れた時とは別の日。

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本当はこれ↑に乗って山の洞窟にある永久凍土に棲む魔物退治、いやもとい、永久凍土そのものを取材しに行く予定だったのですが、出発直前になって、いきなりの故障です。あえなく、またアオダケジャーに変身してスノーモービルに乗ることになったのです。乗りたかったな~雪上車。

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ま、どっちにしろ カットになったんですけどね。

がんばれ!極北オーロラ戦隊 アオダケジャー

でも、君たちに明日はない!(笑)

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2010年8月27日 (金)

日記

世界一番紀行は成田→現地→成田で毎回、ほぼ15日間、半月かけてます

初回の「世界一寒い村 ロシア・オイミャコン」編は2009年の2月4日から19日まででした。

B5のノートに日記を付けていたのですが、今読むと、汚い字で判読不能な文章、こっぱずかしい文章、怒り、悲しみ、そして笑いの数々。

往き帰りの行程だけで7日ちょっとかかるので、実質オイミャコン滞在はマル一週間でした。 

もう朝から晩まで、ず~~っと撮影してましたね~

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ある日の日記

「ジーマさんの牛の世話の手伝い、撮影。干し草がいう事をきかない。牛は五頭。三月にはもう一頭生まれるそうな。世話終わりで、気温が-50℃になったようなので、コメント撮りしようとしたが、テイク1がNGで、もう一回撮ろうとしたら温度がすでに上がって中止。

ジーマ家の朝食。やわらかい揚げパンを生クリームとレッドベリーのジャムにつけて食べる。最高!こんなうまいもの食べたことがない。止まらない。

朝食後、安原さんに呼ばれてもう一回、温度計るシーン撮影。-49.5℃。ほぼ-50ということでキープ」(原文ママ)

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この揚げパンに付ける、自家製生クリームとレッドベリージャムの事は、椎名誠さんとシベリア追跡に同行した、米原万里さんも著書「マイナス50℃の世界」の中で大絶賛されておりました。サハ共和国では、どの家庭でもこの組み合わせは鉄板のようです。ほんとね、びっくりするくらい美味いんですよ。ホント自然の恵み、汚れなき大地の贈り物です。う~ん、活字では美味さは伝わらないとわかっているのですが・・・・とにかく、あまりの美味さにびっくりします。・・・・・・・云いかえればそんだけ、僕らが汚れているのかな、と思わないでもないですが・・・・

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温度のシーンは後日、-53℃になったので、そちらが放送され、このキープはカットになりました。

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↑撮影出発前に日記書いてるとこです

日記とかけまして~

蚊に刺された時とときます そのココロは~

どちらもカイタリ、ツケタリ(書いたり・掻いたり、付けたり)です

オータカっちです!

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2010年8月25日 (水)

オーロラ

こんだけ暑い日が続くのでこれで少しでも、ほんのちょいとでもいいから、涼しい気分でも味わえたら、なんて思うのですが・・・・・・

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ロングイヤービエンで見たオーロラです!

北緯78度13分ですから、天気がよく、冷え込みの強い夜には、ほぼ100%の確率で見ることができます。

放送では、そこそこ感動している的コメントでしたが、僕の感動は半端なかったんです。カメラマンの米谷さん「タカさん、尋常じゃないぐらい感動してましたね~」と云われるぐらい、もの凄く、それはそれは、もの凄く感動してたのですが、ディレクターの安原さん、そのくだりカットしちゃいました。たぶん、番組的にそこだけ浮いちゃうことを恐れてのことか、と。エヘヘヘ。

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生きてるうちにオーロラを見てみたい・・・・と思っていた僕は、その目的を達成してしまったわけですが、人というものは欲深いもの。オーロラのハナシで盛り上がってると、米谷カメラマンが「オーロラって、いろんな色があるらしいんですよ、中でも赤いオーロラは激レアみたいですよ」と

調べると、和語で古来オーロラは「赤気(せっき)」と呼ばれてたそうな。

常識を覆すような、夜空に光る赤いオーロラ

これを見ずに死ねるか!

安原さん、それまでどうか末永くお付き合いを!エヘヘヘヘ

そして、その映像には是非とも、敬愛するギタリスト・押尾コータローさんの「オーロラ」を流してほしいっす!(実は、今回もそれとなく安原さんにフッたのですが、使ってはいただけなかったので・・・・)

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ちなみに、この曲を練習中に左手、腱鞘炎になりました。二度も!

押尾さん自身、オーロラを見たことはないそうですが曲を聴いていただければ、この画像にピッタリ、まさに、オーロラ!って感じがします。

「Panorama」というアルバムに収録されてます。

僕の拙い演奏でもいいならお聞かせしますが、35回くらいトチるので、とてもとても・・・・・エヘッヘヘッヘ~

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2010年8月23日 (月)

格好

暑くて地球が壊れそう~~~~

さて、そんな「爆暑」が続く中、世界で一番短い夏を終え、早くも秋をすっ飛ばし冬になりつつあるのが

ロシア・オイミャコン

もう、今週の天気予報を見ると、最低気温が0℃前後をちらほら、氷点下の日も。

でも、真冬の-50℃を考えると、0℃前後なんて、「くそ暑い!」と云われそうです。「まだまだ真夏だよ!」なんて云いながら、皆さん、半袖姿で生活しているような気がします。

去年の今頃、訪れた ボリビア・エルアルトも、南半球で季節は逆なので、今は冬。ここ一週間の天気はオイミャコンと同じような感じで、最低気温は氷点下、最高でも15℃前後です。実際、朝と夜は半端なく寒かったです。

北半球にありながら、北極に一番近い町、ノルウェー・ロングイヤービエンも真夏でも10℃行くか行かないか、ってな感じらしいです。それは「夏」とは云わないと思う。

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 オイミャコン      エルアルト        ロングイヤービエン

ていうか

寒いとこばっか!?

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2010年8月21日 (土)

Zebra

南米ボリビアの首都・ラパス 車の数は半端ないです。

路線バスもあることはあるのですが、人々の足は、「ミニブス」と呼ばれる、10人乗り程のハイエース型の車が主流。要所要所に停まり、ドアが開き大声で行き先を告げ、人が乗りいっぱいになったら出発する、という。

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もちろん、定員オーバーも主流。

もう、ひっきりなし、街を走る車、乗用車とミニブスだけ!?みたいなノリです。

でも、なんで、ミニバスはなくて、ブスなんだろう、まいっか。

さて、車様さまのラパス。信号があるところでも気をつけて渡らないと轢かれそうになるのですから、ないところは、本当に用心して渡らないと運転手に怒られかねない。

で、そんな我ら歩行者の味方がこちら

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横断歩道の模様とおんなじ、シマウマくんが交通整理をしてくれるのです

信号のない交差点でひっきりなしに通る車の中、いつ渡っていいやら逡巡している歩行者のため、かれらはコミカルに車を説得し、僕らを通してくれます。

実は、彼ら、麻薬やアルコール中毒の患者・・・だった・・・若者たちで、社会復帰のための貢献事業としてやってるんだそうです。

さて、このシマウマ軍団のほかにロバくんもいるのですが、このロバくんは、いわばヒール。車が走ってる中、どんどん渡っちまえ!的アピール。すかさず、シマウマくんがやって来て撃退するなんていうパフォーマンスがあったり。

そんな様子を見てたりすると、いつまでたっても渡れる歩道も渡れはしません。

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2010年8月19日 (木)

ロシア人の誇り

モスクワ生まれのロシアン・ジェントルマンは-50℃下、外にあるトイレで「大」用を足すのがイヤだったのではない。

我らがコーディネーター、アレックスさんである。

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モスクワだって冬は普通に氷点下になる。寒けりゃ着込めば済む。

ただ・・・・・・ただ、しゃがんでポットン便所にモノを落とす行為が彼のダンディズムに反していただけなのだ。

「ダイジョブデス、ガマンシマス」

モスクワからドメスティックでヤクーツクに飛び、そこから車で800Km。オイミャコンへ着く前日ハンディガという町の宿でした「大」が最後だった。

僕ら日本人が、次々とキャンディー・タワーの建設(2/28参照)のため、トイレットペーパーを持ち外に出て行く姿を恨めしそうに見ていたかどうかはわからないが、アレックスさんは徐々に苦しそうになっていき、バイオリズムよろしく、「大」が催す時間、それはそれは見ていられず、その晩、日本人スタッフが緊急招集「アレックスさんに気持ち良くキャンディをしてもらうために」という議題で会議を開いた。

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村で調達したのは、穴の空いた椅子とポリバケツとビニール袋。これだけあれば、簡易洋式便所にはなる。

僕らはいなくなりますから、その間にウンコして下さい的なあけっぴろげセッティングは、彼のプライドをズタズタにしかねない。自然にあくまで自然に、だ。

作戦決行は僕がバーニャと呼ばれる家庭用サウナに入る時となった。

「通訳」としての仕事は必要ない。ならば日本人スタッフだけで撮影している間、思う存分してもらおう。安原ディレクターがアレックスさんと二人きりの時間を作り小声でその旨を告げた。もちろん僕らは知らない体で。

僕はサウナに入りながら、アレックスさんの至福の顔を想像した。

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だが・・・・・・

作戦は失敗に終わった。

「ミンナノコウイハアリガタイデスガアトモウスコシデハンディガニモドレマスカラガマンシマス」と

彼はオイミャコン滞在8日間、強制便秘に耐えた。自らウンコを8日間ガマンし続けたのだ。しかも、食事は普通に摂りながら、である。

そして、取材を終え、目指すハンディガの宿に着き、積年の思いを果たしたアレックスさんは僕らのところにやって来て

「ものすごいビッグ・キャンディでした~」と笑顔で云った。

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2010年8月17日 (火)

姉妹

ノルウェー人の男性と恋に落ち、故国フィリピンを離れ、雪と氷のロングイヤービエンに住んで11年。笑顔が素敵で、話してるとなんだか癒される三児の母、レルマ。

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実は、彼女の実妹も、同じ COOP で働いています。ロングイヤービエンは、まだ住んで数年程だそうで、週に何回か、外国人のためのノルウェー語講座を受講しています↓。

コーディネーターの村上さん(僕の左)、ノルウェー在住30年でも、ネイティブの人に何度も発音直されてしまうぐらいですから・・・・・・ノルウェー語は相当難しいようです。

紹介が遅れました、僕の右にいるのがレルマの妹、アニータです。

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取材が終わって寛いでいると、アニータが

「ワタシ、ニホンニスンダコトアリマス」

・・・・・・皆の眼が点・・・・・・

初めて COOP の取材をした時や、店長カーリーンさんが催してくれたホームパーティーでも出会ってるのに、そんな事実はまったくわからず、いきなりの日本語サプライズ!

「私、岩手のフィリピンパブで働いてました。2~3年かな、それから、いろんなとこ行きました。東京も。その後、姉のいるロングイヤービエンに来たの」と、なかなか流暢な日本語。

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で、聞いてる皆の素朴な疑問。

何故、日本を離れココに来たの?

「フィリピンパブは年取るともう働けないの!」と笑顔で答えてくれました。

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2010年8月15日 (日)

さびしんぼう

二週間のロングイヤービエン取材を終え、オスロに戻り空港ホテルで一泊

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ロンドン経由で帰国の途に着くはずが、機長の急病というアクシデントに見舞われ、急遽、機を変更、しかも僕はバンコク経由、スタッフさんはミュンヘン経由とか云われる始末。切なる懇願が通じて、皆と同じ機で帰ってこれたのは以前お伝えしました。

さて、20年前、日テレ「謎学の旅」でモスクワに行った時のこと。

スタッフさんは先乗りしているので、オータカひとりきりで成田からモスクワへ行くことに。

しかも、初海外、革命記念日間近の旧ソ連。びくびくもんです。

先乗りしたディレクターと現地コーディネーターが出迎えてくれるから大丈夫、と云われてはいました。

モスクワ経由パリ行きのJAL便。

もう飛行機嫌いも相まって、無事モスクワで皆と遭えるか気が気じゃない。

到着後、イミグレで訳の分らんロシア語でまくしたてられ、首をかしげれば、何とか聞き取れる英語で「荷物はいくつもっとるんじゃい?」的なことを云ってるのが分かったので、蚊の鳴くような声で「ワン」と。捨て犬か!!

なんとかイミグレを通るも、誰もいない。不安は募るばかり。10分程待ってると、「あら、ここにいたの?」と流ちょうな日本語の現地コーディネーター。気を利かせて、空港内まで入って俺を探してくれてたそうな。・・・・・聞いてないし。

で、オスロに戻って。

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当初、機長の急病が発覚した時点で、スタッフさんだけ、今すぐあの飛行機に乗れ!といきなり僕を残して搭乗口に行ってしまったのですが、その時点でもう不安は最高潮ですよ。僕のチケットは手荷物の制限重量がやや多めに設定されていたので、ディレクターの安原さんのセカンドスーツケースは僕の手荷物として預けてあったのです。んなもんで、搭乗口に入る前に安原さん、自分の名刺を僕に渡して、「日本に帰ったら、着払いで送ってくだせ~」と。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・え!?

放心状態です。

ま、結局、スタッフさんたちは飛行機に間に合わず戻ってきたのです。で、僕が待ってたカウンターで再度チェックインすることになったのです。「よかった~~~~」カメラマンの米谷さんに嬉しくて抱きついちゃいました。

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さて、ひとりで待っている間、周りを見回すと、変なモニュメントが!

タイトルもノルウェー語で書かれてあるし、何を意味するのかさっぱりわかりませんが、通りしなクスクス笑う人多し。

そして、これに股間をぴったりつけて笑顔で記念写真を撮る青年を見て、ひとりで待つ不安が、ほんのちょいと和らいだのは事実です。

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2010年8月13日 (金)

一本の電話から

2008年12月、「おみやさん」撮影で京都に滞在。宿泊先のペンション・オーナー夫人とお嬢さんと3人で食事に出かけ、その帰り。携帯がプルル。主は8年程前に仕事をご一緒した、ドキュメンタリー制作会社のプロデューサー。邂逅ならぬ開口一番、「世界で一番寒いとこ行ってくんない?」と。絶句してる間もなく「-50℃なんだよね~」

「50」と云う響きにビビッドに反応した。あ、俺来年(’09)50だ!

「そうだ!行ってみよう!」

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ペンションに戻り、PCをお借りし、「世界で一番寒い」とググってみると

「オイミャコン」がヒットする。

驚愕の画像のラインナップ

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件のプロデューサーも「一番心配なのが、トイレが外にあるんだよね~。-50℃でうんこして凍死しないでね~」と。

帰京後、打ち合わせやらお茶の水に防寒具を買いに行ったり、年末から年始にかけて「キイナ」の撮影中も共演者の方々に「生きて帰って来て!」とわけのわからん激励を受け、舞台「はるヲうるひと」の稽古本番と続き、余韻に浸る間もなく飛行機は一路モスクワへ!

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あれから、一年半、なんだかんだで「世界一」三か所行っちゃいました。

第四弾は???????

ま、それよりなにより、プロデューサー

「いや~、この企画をやるにあたってさ~、レポーター誰がいいかな~って考えた時、3つ条件クリアしなきゃ~なんだけど~まず、オイミャコンへはマネージャー付けずに一人で来れるか、凍傷になっても文句云わない、NHKだからそんなに高いギャラは払えない。

で、一番、先に浮かんだのが、オータカさんなんだよね~」と

俺って何!?

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2010年8月11日 (水)

桃ジュース

「モコチンチン~」

「え、何?」

「モコチンチン~」

「・・・・チンチン!?」

「モ・コ・チ・ン・チ・ン」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

ボリビア・エルアルト。

ビルマさんの長女、アナ(右)は笑顔で答えてくれました。

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市場で彼女にインタビュー、何か飲み物でも飲みながら、っちゅうことで、屋台で売っていたのが、桃の実を漬けたジュース。至極甘いです。で、その名前が

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モコチンチン・・・・・正式には「モコチンチ」だそうで、最後の「ン」は付かない、と。でも、何度聞いても「ン」が付いてるようにしか聞こえない。花も恥じらう中一のアナが連呼する様は、こっちが恥じらっちゃう!

恥じらいついでに(?)モコチンチを売っていたおばさんに

「これは、モコチンチン!ハポンで(股間を指して)これは、チンチン!」ってやってのけました。

鼻で笑われました。ま、どん引き覚悟でやったんですけどね。

でも、ドライバーのドンファンさん(8/3参照)にはバカウケでした。

よしゃ~いいのに、音声の佐竹さん↓、ドンファンさんにモコチンチの変格活用を伝授

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インタビューを終え、車に乗る時に、ドンファンさん、僕のところに来て、股間に握りこぶしを当て、肘を曲げ上にあげながら

「モッコリチンチ~ン!」

佐竹さ~~~~ん!!!

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2010年8月 9日 (月)

○暑

猛暑、酷暑、激暑、爆暑・・・・・・・の中、久しぶりの雨

ちょいと、過ごしやすそうです。

が、とにかく 暑あ暑つ暑い暑ま暑い暑に暑ち暑 が続いてます。

日本中、どこもかしこもです。逃げも隠れもできません。

僕が3月に訪れた、スバルバル諸島・ロングイヤービエン

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今は雪も氷も溶け、こんな風でしょう↓

Mati

思い切って、避暑とやらに、いかがですか?

でも、ロングイヤービエン、真夏の最高温度が15℃程だそうで、夏じゃねぇし、寒いし・・・・流石、北緯78度13分 世界で一番北の町。

雪も氷もないロングイヤービエンも綺麗だ!

ま、それより、8月も始まったばかり、気象予報士さんによると、シェ~~ッ!9月も残暑ざんしょ!?

あと2ケ月近くは、こんな駄洒落を云ったところで、ちっとも涼しくならない日々が続くわけです。

温暖化の波、高すぎ。日本は、地球は、どうなっちゃうんでしょうか?

家の中にいても熱中症になってしまうような昨今、こんな流氷に頭でも突っ込んで

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冷やした頭で、CO2 削減についてじっくり考えてみますか。

整いました~

CO2削減とかけまして~

西武池袋線3つ目とときます。そのココロは~

エコダ(ECOだ、江古田)~

おーたかっちです。

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2010年8月 7日 (土)

渾名

ドライバー・シリーズ 第二弾!

ロシア・オイミャコン編、ヤクーツクからオイミャコンまで800kmの道のりを二台の車と三人のドライバーで!

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↑のうちの二人。ジーニア(上)と名前結局聞かずじまいの千原ジュニア(僕らはそう呼んでました)もうひとりは画像はありませんが、僕らの車はほぼ、ジーニアが運転してくれて、途中何回か交代はしてました。

ジーニア、着てるものはすべて迷彩柄。ものすごい好きらしい。「ミリタリー、ハラショ~」って云ってましたから。

だから、↓こんなナイフを携帯

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オイミャコンまでの道中、車内での食事時、ハムやパンを切るのはもちろん、缶詰めも器用にナイフで開けるのですよ、鮮やかに!

で、食後、皆が飲んだペットボトルをくりぬいて、そこに残飯を入れ、木に吊るし、鳥たちの餌に。

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190cmの巨躯に似合わぬ心優しいミスター・迷彩

その風貌から、我らが闘うカメラマン米谷さんがジーニアに付けた渾名が

ゴリラーマン

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でも、↓米谷さんも、比較的、ゴリラーマン!?

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僕が今まで出会ったカメラマンの中でまじでNo.1です!

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2010年8月 5日 (木)

月日の経つのは・・・・・

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オイミャコンでもエルアルトでもロングイヤービエンでもありません

半年前の東京マラソン、スタート風景です

ドラマの撮影中に撮った画像です。オールアップの日でした。で、中一日おいてロングイヤービエンに出発しました。

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世界一番紀行モードに切り替わらぬまま、飛行機に乗せられ、ノルウェーに着いた感があり、ま、ある程度は用意はしていたものの着の身着のまま来たような・・・・

そして翌日には目指すロングイヤービエンへ!

二週間のハードスケジュール、吹雪にまみれ、氷にすべり、サーモンを食い倒した楽しい撮影を終え、帰路に。

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日本はもう、春の足音が・・・

ありがたい事に、帰国後、早速「絶対零度」の撮影があり、その後もなんやかやと・・・

そ、なんやかんやしてるうちに、真夏です。猛暑です

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あれから半年近く経っていると云うのにロングイヤービエン出発直前まで撮っていたドラマは未だに放送されていないこの現状、どうなの!?

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2010年8月 3日 (火)

どんふぁん

初登場、ボリビア・エルアルト編のドライバー

僕と安原ディレクターの肩に手をかけてほほ笑む、薄いグラサンをかけたベスト姿のおじさん。

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「ドンファンさんです」

↑こう紹介されたので、本名も聞かず、最後まで、「ドンファ~ン!」と。

彼が若い頃ブイブイいわしてたかどうかは、さだかではありませんが、ちょいエロトークを小出しにする様を見てると、泣かせた女は星の数程かと。

毎朝、彼がホテル横につけてくれるバンに乗り、ラパス、エルアルトを巡り巡りました。

そして↑後列左、コーディネーター・すずきともこ女史の隣、ビルマさんの故郷を訪ねた帰りのこと。

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ビルマさんの故郷はアンデス山脈に広がる、アルティプラノと呼ばれる広大な台地。半日程のロケを終え、往路で通った下りの道を登っている時でした。

僕は車中で半分寝てましたが、あれれ、あれれと云う間に車がストップしてしまいました。坂の途中です。

ビルマさんの旦那さん(後列右)が運転するクルマとドンファンのロケ車、二台で行ってたのですが、先を走ってた旦那号が異変に気づいて戻って来てくれました。聞けば、

「クラッチ盤がすべって、坂を登りきれない」と。

周りを見渡せば、地平線も見えそうなだだっ広い大地が広がるだけ、他の車も全く通りません。

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すわっ、遭難!?

どうすんだ?どうすんだ?ロシア・オイミャコンでも似たようなことがあり(2/8参照)、僕はちょいパニ状態。

そんな、僕を尻目に、ドンファンは車を降り荷台からバナナを出しムシャムシャ。そしてアルティプラノの大地に立ちション。え、なになに、腹が減っては戦はできぬ、ってこと!?

結局、重量オーバーと判断、機材から人間様まで、旦那号に載せられるものは載せて、そろりそろりと半クラすれば、何とか動き出しました。でも、すんなりいったわけではなく、この間、小一時間程。日本の本州もの広さの大地にポツンと取り残されるこの不安感。旦那号はロケ車よりは小さく、牽引できたかどうかはわかりませんが、心細さはピーク、もしかしてヒッチハイク!?なんて考えも頭をかすめました。

この登りを越えた後は、もう、ほぼ下りと平坦な道ばかりでしたので、ドンファンは慎重に運転してくれて無事、帰りつきました。

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でも、その後、クラッチ盤のすべりを直した様子は一切なく、僕らは次の日からも、ドンファン号で元気にロケに行きましたとさ!

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2010年8月 1日 (日)

レナ川の人

1917年ロシア革命の主導者、レーニンが反革命派を収容し過酷な労働を強いた、ラーゲリ(強制収容所)。レーニンの死後、スターリンは、それをエスカレートさせ、第二次大戦の捕虜や、気に入らない民族から、富農・資本家・貴族に至るまで、数百万から数千万とも云われる人々に強制労働させました。

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世界史を選択したわけではないので、迂闊なことは云えませんが、レーニンが提唱した、本来のラーゲリの概念はスターリンによって明らかに崩壊し、彼の独裁者ぶりは万人の知るところです。

モスクワ、赤の広場・クレムリンにある、レーニン廟。ペレストロイカ以降、国内のレーニン像が次々と壊される中、いまだ「ロシアの父」として、死後80年が経った今も遺体が安置され、公開されております

スターリンも死後、レーニンのように遺体に防腐措置が施され、レーニン廟に並んで安置された時期がありましたが、結局、その後埋葬されたのも、スターリンがやらかしたことは、レーニンの比どころじゃない、とんでもねぇ~、許されるべきことではない、ということなのでしょうか。

僕が訪れた、ラーゲリは、かなり朽ちていました。中に入ると、二段ベッドがあったと思しき様、とにかく、単なる木造の掘立小屋。厳寒の冬、過酷な労働で戻ってきても暖を取れるほどの設備があるようにも思えません。実際、当事者の方々の思いたるやいかばかりか・・・・

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国内に500程あったと云われる、ラーゲリは、「隠したい過去」らしく、ほとんどが壊され、↑こんな風に残ってるのは珍しいそうです。

何の罪もない人が、いつ終わるともわからぬ過酷な労働に従事している間、上層部は、↓ここで、の~の~と紅茶でも飲んでたかと思うと・・・・・・

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でも、ラーゲリ内で撮った写真、何故だか、白~くぼんやりと・・・・・

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